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マロン
大阪あべの辻調理師専門学校を首席で卒業し、料理研究家、インテリアスタイリストのアシスタントを経験後、1983年に日本でのフードスタイリスト第1号として独立。独自の感覚で『魅せる』ハイセンスなスタイリングを武器に多くのメディアや、全国のイベント・講演会などでダイナミックに活躍中。「美味しい料理」「食の楽しさ」「食=健=美」を広く提案し続けている。料理以外にも、歌の世界への造詣も深く魂を揺さぶるバリトンボイスに魅了されるファンも多い。
2018.04.18
#03 - マロン
1983年。日本で初めて、『フードスタイリスト』というプロフェッショナルが誕生した。メガネとボーダーの衣装をトレードマークに、確かなクリエイティブと軽妙な語り口で、瞬く間に業界の信頼とお茶の間の人気を集めた。
デビューから35年。幼少期から“表現者”であることを軸に、時代の移り変わりに適応しながら、しなやかに進化を続けてきた彼が観てきた世界、そしてこれから魅せようとしている世界はどのような味・色・香がするのだろうか。
ー まずは“マロン”誕生までの経緯を探ってみたいのですが、どのようなお子さんだったんですか?
子どもの頃によく観ていたテレビ番組はNHKの『きょうの料理』で、料理の作り方だけを見るのではなくて、自分がそのスタジオで料理を作っているところを想像しながら観る。そんな子どもでした。
小さい頃から女の子の中でリーダー格といった感じで、女の子に混ざっておままごとしたりもしてた。
自分で言うのも気が引けちゃうけど、男の子の割には美意識が高くて、何でも美しくあること、美しく作ることにこだわってたわね。
両親が美男美女で、大切にしてくれた祖母も明治生まれの粋な人で、当時としてはハイカラな家庭だったからそれも影響してるかもね。
ー 幼少期から料理の世界に惹かれ、すでに“マロン”さんの素地が出来上がっていたんですね。
美しいものが好きで、それを表現者として作れるところが好きだったのよね。
選択肢は色々あったと思います。もしかしたら美容系でも良かったのかもしれないし、音楽や芸術の世界だったかもしれない。
でも結果選んだのは食。料理だった。
ー 料理を選ばれるきっかけになった原体験ってあるんですか?
料理人を目指したのは高校生の頃。
当時はまだ「スイーツ」という言葉もなかったような時代で、女の子でもお菓子作りなんてしてない頃に、僕は自宅でお菓子を焼いてたの
スポンジ焼いて、生クリームとイチゴで美しくデコレーションして家族に食べてもらってた。
そうすると家族は「美味しい!」っていつも喜んで褒めてくれてたから、それが自信になって料理で表現することの楽しさや喜びを知ったわ。
ー 料理を通して表現することの楽しさを身体で覚えられた。
料理もそうだけど、表現することの楽しさと言えば、小学校1年生の時、地元ののど自慢大会があってトップバッターで出たの。
もう緊張して心臓がドキドキドキドキ・・・3、2、1とカウントダウンされて、パッとスポットライトの中へ出ていった時の記憶が表現者としての原体験の一つね。
あの時の緊張感だったりスポットライトのあたる心地よさは今でもちゃんと覚えてるの。
僕の場合、その表現方法は長い間料理だったし、最近ではあの頃のように歌もうたってる。
ー それで高校を卒業されて料理人を目指すようになるわけですね。
そうね。
高校を卒業してからは料理全般を学びたいって思って大阪あべの辻調理師専門学校へ入ったわ。
それまでと違って、周りは料理が好きな人達ばかりだったけど、誰かに負けたくないっていうよりも、純粋に楽しかったから授業はいつも一番前に座って、勉強はきっちりやってた。
もちろん恋愛もちゃんとしてたわよ(笑)。とにかく楽しい時代だった。
ー 辻調を主席で卒業した後は銀座の名店へ進まれました。
学校の推薦で、銀座にあった当時の名店『レンガ屋 ポール・ボキューズ』へ就職したの。
ポール・ボキューズ監修の素晴らしい店だったけど、なかなか料理はさせてもらえなくってね。
入ってすぐは見習いだから、ホールとかサービスとか下積みの毎日。「辛い」というのではない、別の違和感を持ってしまって結局1年で退職しちゃったわ。
無理して続ける選択もできたけど、自分が「違うな」って感じた瞬間を大切にしたかったし、今思えば良い決断だったと思うわ。
ー 「違うな」と感じたのは、どういう部分だったんですか?
つまり、「作る」じゃなくて「魅せる」側に立たないといけないと思ったの。
ここに居たのでは料理を作ることはできるかもしれないけど、魅せることはできないなって。
ー いち早く“表現者”としての舞台に立ちたい想いが勝ったんですね。
そうね。若かったのもあるし、とにかく早く“魅せる”お仕事がしたかった。
ー そこから日本初のフードスタイリストとしての道が開かれてくるわけですけど、“コーディネート”ではなく“スタイリング”を選ばれた、名乗られたのにも「魅せること」へのこだわりがあったからでしょうか?
83年のデビュー当初、ファッションもインテリアもスタイリストがいるのに、当時の日本にはフードのスタイリストがいなかった。
ニューヨークには既にフードスタイリストとして活躍する方がいたんだけど、デビュー前にその方のテレビを見て衝撃を受けたの。
料理の味だけじゃなく香りや色彩、盛り付けや空間の作り方まで含めた魅せ方とスタイリングをして、一番良い状態に仕上げるわけ。
もうそれを見た瞬間に、「これこそ僕の仕事だ!」って。それで日本初のフードスタイリストとしてデビューした。
当時は、料理はできるけど器とか盛り付けとかスタイリングまでできる人はめったにいなかった。
だから雑誌やテレビの世界では料理もスタイリングもできるマロンの存在は重宝されたわ。
ELLEやFIGARO、Marie Claire、MARTHA STEWART、REAL SIMPLEとか海外雑誌の日本版が発刊される時には必ずメンバーとして呼んでいただいて。
ー 錚々たるタイトルばかりですが、海外雑誌の日本版でフードスタイリングをする際に大切にしていたことってあるんですか?
元々そういう海外雑誌を観ながら、どういう香りがするんだろう、こんな味かなって想像を働かせていたわけだけど、いざそれらの日本版をやることになると、日本の素材・日本のものを織り交ぜることを意識したわね。
例えばハーブでも日本原産のハーブを使うし、日本らしいレシピや魅せ方にこだわってた。
今でこそインスタ映えとか言うけど、ページ映えするようにスタイリングしてたわね(笑)
ー そう考えると当時よりも今の方がフードスタイリストの技術が求められているのかもしれないですね。
そうね。
お皿の中、テーブルの中、食空間をスタイリングしないといけない時代ですからね。
僕はフォーマルよりもカジュアルが得意だし好き。飾らない日常の中に花を添えてあげるのがマロン・マジックの一つ。
もしかしたらテーマによっては、このサラダが花になるかもしれない。
スタイリングするには食卓にテーマを設けることも大切ね。
テーマを作らないとつまらないお皿やテーブル、空間になることが多いの。
例えば分かりやすいところで、季節に合わせたテーマを設けてみる。
四季の旬の物は色も味も良いし、栄養価も高くて価格は安い。スタイリングだけじゃなくて、旬の物を食べてたら身体だって元気でいられるのよ。
ー 仰る通りですね。うちの発酵飲料も四季それぞれ旬の果穀藻菜を旬の時期に収穫して、旬のうちにエキス抽出しています。
やっぱりね。だから旨味がちがうのよ。
ー ちなみに当時はどんな生活リズムだったんですか?
そりゃ毎日激しかったわよ。朝から朝まで動きっぱなし(笑)
全然苦ではなかったけど、一日丸々休みの日なんて何か月も無かったりね。
今も変わらないけど・・・じっとしてたら死んじゃうのよ(笑)
料理の世界だからって料理だけしてたのではダメ!っていうのも昔からそうね。
どんなに忙しくても、仕事の合間に歌だったりお芝居だったり、そういう別の表現の世界に触れる時間を作るようにしてた。
いつも言ってるんだけど、映画ほどコスパの良い授業はないんだから、若い人にも時間あるんなら映画観なさいって思うわね。
僕も時間が空いた時は一人で映画館へ行ってその世界に触れる。
もちろん料理にまつわる映画は全部観てるわよ。
ー 今では歌手としてもステージに立たれて、デビューから35年経った今も表現者として進化されています。
僕の中では進化しているというよりも、時代に合わせて生きてきた感覚かな。
30数年この業界にいてふとした時・・・55歳を過ぎたくらいに、人生を見つめなおすタイミングがあったんですよ。
それまでの自分のスタンスや、あるべき姿を見失ってしまいそうで、不安も感じて・・・。
時代の流れが急激に速くなったようにも感じましたね。
その時に押しつぶされなくて良かったんだけど、「あ~、自分も変化してるんだな」って感じたのが2-3年前。
挫折感とはまた違う自分の中の変化を受け止めながら、人の有り難さや温かさも感じたし、汗をかいて恥をかくことも覚えましたよ。
格好よく見せるだけが真実ではないと気がつけたのもその頃ね。
ー いわゆる世代交代の波も感じられましたか?
もちろんそれもありますよ。仲よくさせていただいている方の、お子さんやお孫さんがデビューされたりね。
まあでも周りの変化もあるけど、30年以上やってきてたら自分の中にも変化はあるわよ(笑)
ー それはそうですよね。ちょうど歌い手として活動を始められたのもこの時期ですか?
歌は好きで、ここ10年くらいはやってます。六本木男声合唱団で歌ってたのが20年前くらい。
歌ってエネルギーの塊だし、その人自身がよく現れるでしょ?
だからそれって、僕の中では料理と同じように“表現すること”なの。
ー やはり小さい時から“表現者になる”という軸は変わらないんですね。
そうね、だから小学校低学年の頃にNHK『きょうの料理』を観ながら、「この中で自分も(料理を)作るのか~」ってテレビの中の自分の姿を想像してたっていうのは、なかなかよね(笑)
キラキラした世界に憧れて、キラキラした可愛いものも好きで(笑)
ー クリエイティブの世界ではことさら、男性にも“女性脳”だったり“女子力”が求められると思うんですけど、マロンさんの場合はもう天性のものとして備わっていた感じですよね。
持ってたのよね。
それにまだ学ぼうと思ってるわよ。お手本になる女性が周りにちゃんといるから。
ー 時にそのマロンさんの肉体的・精神的なタフネスっていうのは、どのようにして維持されてるんですか?
今年59(歳)!来年還暦よ!自分で言うのもなんだけど、タフよねぇ~(笑)
ー 今現在58歳と伺いましたけど、58(歳)にはとうてい見えないですし、活動量が尋常じゃない。
最近ね、甘味料の入ったジュースを飲まないようにして、水かプレーンな炭酸水にしたの。もうそれだけで体が軽い!
でもねどうしても飲みたくなる時ってあるじゃない?「あ~コーラ飲みたい!サイダー飲みたい!」みたいな時。そういう時は我慢せずに身体に与えるのがマロン流(笑)
ー 我慢しない、ストレスをかけない。
そう、それが一番。
もちろん毎日とかっていうのはダメだけど、ファーストフードも同じ。
だから反対にLLE(発酵飲料)なんかでも「毎日飲まなきゃいけない。摂り入れなきゃいけない。」っていう義務を自分には課さないようにしてるわけ。
体が欲した時に摂るの。それでも出張で家を空ける時以外はいただいてますけど(笑)
体に良いことしたいのに、いつのまにか義務になって、それがかえってストレスになるって本末転倒でしょ。
ただでさえストレス社会なんだから自分で決めたことがストレスになってたら身体もたないわよ(笑)
ー ちなみにLLEはどのようにして召し上がっていただいてますか?
飲むときは炭酸水かお水と一緒にいただいてます。
でも僕は、LLEの旨味を活かしてドレッシングや何かしらのソースを作るのもおススメ!
今回はせっかくの機会だから、サラダとドレッシングを作りました。
お野菜中心にしようかなとも思ったんだけどタンパク質もしっかり摂れるようにアレンジしてます。
一つ目のポイントは、エビを塩茹でしたら、そのままにしないでこのドレッシングで下味をつけること!このひと手間がプロの技よ。
LLEとオリーブオイルはすごく相性が良いから、1:1の割合で混ぜ合せてそこに茹でたエビを漬けておく。これだけで随分美味しくなるわけ。
二つ目のポイントはドレッシングなんだけど、LLEには熟成された甘味があるから、普段よく使う蜂蜜なんかも必要ない。
あとは香味野菜も忘れずにね。どこにでもある玉ねぎやニンニクを細かく切ったり、すりおろして入れておくだけで味のアクセントになるから。
酸味は普通のお酢で大丈夫。最後にお醤油で調えて出来上がり。
お好みで粉チーズを混ぜてもコクが出て良いかも知れないわね。
ー これめちゃくちゃ美味しいです!サラダドレッシング以外でも使いたい味ですね。
作りながら思ったんだけど、これ(LLE)って色んな味や素材を繋げてくれるの!
特にこの甘味と旨味がいいのよ。
ー いやぁ、さすがマロン・マジック!御見逸れしました。
海老 | 180g(塩ゆでしておく) |
---|---|
鶏ハム(市販) | 1枚(約180g) |
プチトマト | 12個(縦1/4に切る) |
パプリカ(黄) | 1個(1cm角切り) |
にんじん | 小1本(せん切り) |
紫玉ねぎ | 1/2個(1cm角切り) |
きゅうり | 1本(縦半分8mm幅に切る) |
ラズベリー | 120g |
ロメインレタス | 1個(縦半分3cm幅に切る) |
LLE82 | 大さじ6 |
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オリーブオイル | 大さじ5 |
にんにくのすりおろし | 1片分 |
玉ねぎのみじん切り | 大さじ3 |
粉チーズ | 大さじ2 |
酢 | 大さじ1 |
しょうゆ | 小さじ1 |
塩、粗びき黒こしょう | 各少々 |
(聞き手:石川裕也、ライター:花房道子、撮影:新井達也)
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マロンデジタルキッチン
マロンさんの所属事務所サンブロードバンド東京オフィス内のメインスペースに用意されたオープンキッチンとカフェスペース。ファンクラブのイベント『マロンの夜会』やフードスタイリング講座なども、このスペースで開催されている。